サンティアゴ・コンポステーラ

2004年の10-11月に歩いた記録です。このときに得た感動からガイド業を思い立ちました。大きな写真でお楽しみください

機会をいただきましたら、ぜひいちど皆さんと歩かせていただきたいと思います。"旅行会社で歩いた経験"から、お仲間や気心の知れた方たち(山歩塾で!)歩くのがいちばんよろしかろうと思います。現地では荷物を先に送るサービスも発達していますし、私の知るフランス人・ガイドさんにバンで並走/先回りしていただいてもいいです。(2016年1月)

中世以来のスペインのキリスト教の聖地で、ヨーロッパ各地から通じる巡礼路は、フランスを経てピレネー山脈を越えるとスペイン北部にて次々に合流して聖地に通じます。中世の最盛期には年間50万人とも100万人とも言われる人々が歩いたのだそうですが、現在でも徒歩・自転車・車で数万人が辿っていると言われます。

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なかでもスペイン国内の巡礼路は、1993年にユネスコの世界遺産に登録され、ますます人気が高まっています。日本でも年末のBS放送などで頻繁に紹介されていましたね。ヨーロッパの人たちには自宅から歩き出す人が多いのですが、一般的にはフランスのサンジェン・ピエドポーやスペインのロンセスバリェスから歩き出すようです。

サンジェン・ピエドポーの巡礼事務所にて手続を受け、巡礼手帳をいただきます。自分の宗教の欄は仏教、目的は歴史的興味とでも書き込みまししょうか。目的の一つにはSPORTとあったりするし、巡礼の門戸は宗教にのみ限られず、かなり開け放たれているようです。古い狭い石畳の路地を辿って、町の門をくぐり出て、いよいよ巡礼を始めます。

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個性的なバスク文字が躍るフランス側の地方の草の山地を越えてスペインに入ると、長い下りのあとロンセスバリェスに降りつきます。前世紀の市民戦争時にあのヘミングウェイが住み、映画「誰がために鐘はなる」ゆかりの地となったということです。荷物は大きい巡礼者もいますが、「区切り打ち」しているような人はナップザックひとつでほんとうにピクニックにでも行くような軽装です。

巡礼のシンボルとしてホタテ貝があります。巡礼者はその証としてホタテ貝をぶら下げたりリュックに付けたりします。また、道々の標識もホタテ貝で表されています。巡礼のいでたちのおかげでしょうか、道行く人にはこちらが惑うほど親しみの情を示されます。巡礼者とは歓待されるべきものなのでしょうか。イタリア人女性2人と粗末な夕食を取りましたが2人からワインを馳走になりました。巡礼同士もそうして分け合いながら行くものらしいです。

牛追い祭りで有名なパンプローナの城街に入ると、はたして牛が追われていくような裏通りに入りました。お店で昼の定食を頼むとひととおりの料理に加えてワインが1本!付いてきてびっくりしました。美しい畑を見て、滑りやすい山道を峠に登り、下ると2つの大きな巡礼ルートが合わさるプエンテデレイナの町に入ります。中心の教会は古いまま屋根には草を生やしたまま、町の出口に架かるレイナ橋も古臭いのですが、観光局だけがミョウに新しく・・・。

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ローマ時代の舗装道路(↓)や橋、それ以前のセルティック人(先キリスト時代人)の墓と思われる岩(↑)とかが現れ、タイムトリップしたかのような感覚になります。

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エステーリャの街を越えると、これまでとちがって平坦な道になり、それはそれで単調できつい・きつい!ワインの名産地であるらしく、巡礼者向けの無料のワインスタンドがあったりして楽しませてもらいます。あまり飲みすぎては歩けなくなるので自重・・・。フランス人巡礼が向こうから歩いてきました。話を聞くと一度サンティアゴにゴールしてからまたトゥールーズの自宅まで歩いて帰る!とのこと。

ログローニョの手前の村でバス停があって、とうとうバスに乗ることにします。バスはログーニョまで歩けば1日半の距離を30分で走ってしまいました。その辺りは巡礼路の中でも平原を延々と歩き続ける難所らしい(し、ここでは山歩きな)ので、今回はパスしてそのままバスで移動してブルゴス・レオンと観光しながらアストルガからまた歩くことにします。

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中世には王国の首都であったレオン。その大聖堂には圧倒されます。

ガウディ建築もある個性的なアストルガからまた歩き出します。やはり歩くのは楽しく、休養も十分で快調に飛ばせますね。フォン・セバドンの廃墟を過ぎ、さらに登って巡礼路の最高点・標高1500mのクルスデフェッロに到達します。大きな塔がそびえていますが、巡礼者が持ってきたという多くの石がうず高く置かれていくのだそうです。

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ショッピングセンターや新興住宅地の立ち並ぶポンフェラーダの大きな町を過ぎると、田舎道に入ってほっとします。狭い道の脇の古い建物の2階からしわしわのお婆さんがこちらを見つけてV字を指で示して声をかけてくれます。ヴィラフランカ・デル・ビエルソの巡礼宿では温かく迎えてもらえます。次の日のセブレイロ峠越えは昔からの難所で、ヴィラフランカではこの峠を越える前に巡礼を果たしたと認めていたこともあるようです。

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スペイン・ガリシア地方の秋

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セブレイロには世紀前から続いるらしいケルト人集落を通っていきます。

道すがらポルトガル人の巡礼と仲良くなりました。リュックではなく、ずだ袋を背負って歩いています。小さいな体なのに荷物はズシリとえらく重く見えて、中身はなんだと聞くとみんなワインだと言って笑わせます。現地語で「ワインとパンが巡礼を助ける。」という掛け声があるそうです。

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古道の両脇には古くから植え込まれていたらしい大樹があって巡礼を風雨から守ってくれているかのようです。パラス・デ・レイの街に着いて、昼からSIZZERというリンゴ酒やルホという地元の酒を勧められて飲みました。みんなお酒を飲みながら歩くのが楽しいらしいのです。プルポと呼ばれる小さなタコのおつまみもなんと美味しいことか。そうです、もう海が近いのです。

石のホタテ貝の道標もいよいよ20km台を示してきて、いよいよ終盤です。森の中を小川を越えたりして行きます。途中、行き会ったスペイン人にカフェのケーキに付き合わされたりしましたが、陽もとっぷり暮れてから飛行場の近くを通り抜けてとGOZO(歓喜の丘)に着きました。夜景の中にコンポステーラの教会の尖塔が見下ろせて感激です。

翌朝、サンティアゴ・デ・コンポステーラの古い街並みに入ると、土産物屋やホテルが賑やかに立ち並んできます。せまい石畳の道を辿って歩いていくと、ほどなく教会の敷地に入り、とうとう中世以来の巡礼聖地に到着しました!観光の人たちが大勢いますが、本当に歩いてきたのかと呆れているような羨んでいるような・・・

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街では巡礼中の他のなじみの顔も見えて、すれ違えば互いに健闘をたたえあいます。巡礼者事務所でいくつかのヒアリングを受けた後、巡礼証明書(※)をいただきました。そして、聖堂に入って昼のミサが始まると、司教が当日着いた巡礼者を祝福してくれます。そして運がよければボタフメイロという、お香を焚いた銀の壷を振り回す儀式も見られるでしょう。

※ 巡礼証明書は徒歩で100km以上、自転車で200km以上でいただけるそうです。今回は途中にバスを乗っても合計400km以上を歩きました。所要日数は3日の観光を入れて17日でした。だいたい1日20−30km歩いたことになります。宿泊はユースホステルのようなものなら5ユーロ・1000円程度で泊まれますがたまにホテルでくつろぐのも大事です。

ルート的には北方の道以外に、セビリャからメリダ・サラマンカなどを通って目指す「銀の道」(古代ローマ時代の道)、ポルトガルのポルトから目指す「ポルトガルの道」などがあり、じきに整備されてくると思いますがとても興味がそそられます。フランス国内の巡礼路も魅力的・・・。巡礼は大勢よりも少人数、そしてもちろん観光より山のお仲間とのほうがいいですよ。皆さんもぜひ歩きにいきませんか!